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Car Culture

003 10km/hオーバーで刑務所に入れられた!
002 ドラマ仕立ての広告も楽しいじゃないか
001 敬語の精神がクルマ社会にも生きている!


No.004

木洩れ陽に誘われて

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Peter Lyon

撮影 James Whitlow Delano and Peter Lyon

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の好きな日本語の一つは、「木洩れ陽」だ。オープンカーで田舎、公園や森の中を走ると、光のシャワーを浴びる。それを木洩れ陽と呼ぶと知った時、私は驚いた。ある現象を1つの言葉だけで、こんなに詩的で素敵に表現できる言葉は英語にはなかなかない。敢えて英訳すればSunlight shining through the treesになるが、詩的な美しさは感じられない。

日本にははっきりした四季があり、雨や風を表す言葉もたくさんある。霧雨、五月雨、梅雨、・・和風(なごかぜ)、清風、東風(こち)、疾風(はやて)。ポエジーを感じさせる言葉がたくさんある。日本の都会人たちが忘れかけているような、詩的な風景や感触を包みこんだ言葉。そういう日本に出会いたくなると、ちょっとした旅に出る。そこで、今回選んだ道はオフに走る時の隠れルートの1つだ。 敢えて有名な道やガイドブックに出るような観光地は選ばない。 例えば、茨城県那珂町近辺の田舎道。このルートは「私にとっての日本」を感じられる道。私はモータージャーナリストとして新車を評価するために、普段はマウンテンロードや筑波サーキットの

 

ようなところばかり走りに行くと思われるかもしれない。もちろん、そんな道をたくさん走るけれど、本当は毎日にように都内の渋滞と戦っている。だからこそ、オフの時は、こんな隠れルートを走るのが好きなんだ。

日本の人たちにとってはなにげない那珂町の道が、私には新鮮に見える。ここなら、多くの人は昔ながらのライフスタイルをそのまま送っているし、生活のペースが東京よりワン・テンポ遅い。今話題になっているスローライフを肌で感じられる場所だ。 こういう田舎では都内にいるよりも時間がゆっくり過ぎていくように思う。人が少ない所ほど素朴さが残っているし、人は気取らずに本音を言ってくれる。だから、時間ができた時に走るようにしている。

今回の相棒には詩的な情感をからだで味わうことができるオープンカーがいい。そこで、フェアレディZの新型車350Zロードスターを選んだ。69年に登場した名車フェアレディZ(240Z)のインスピレーションから生まれ、フランスで「最も美しい車の賞」を受賞している。このコースには、ぴったりの車だと思う。閉ざされたカプセルであるクルマだと、その空間を通過して行くが、体が外界にさらされるオープンカーだと、視界も広いし、音やにおい、湿度も感じられるからだ。

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3Kが忘れられる

木洩れ陽のアナログ街道

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常磐自動車道の那珂インターを降りて、118号線をぬけて61号線に入るとすぐに、開放感溢れる田んぼが広がる。都内から100分しか離れていないのに、東京の忙しさがなぜか遠く感じられる。ここを走ると数十年前にタイムスリップしたような気分になれる。こんな道を「木洩れ陽のアナログ街道」と私は呼ぶ。ここでは都会の生活で頼っている3K、つまりコンピュータ、カメラ、携帯を忘れることができる。もちろん、携帯の電波が届かない地域もたくさんあるけど、この辺の人たちは、3Kがなくても、伸び伸びと生活ができるように感じる。3Kが発達しているところでは、人間のコミュニケーション術が鈍ると確信している。つまり、3Kのおかげで、前ほど人に会わないで仕事ができるから。しかし3Kに頼り切らないこの辺の人たちは、人間と人間との生の接触が未だに大切にされている。言い換えれば、人情がまだ深い。

まだ空気も冷たく、田畑に緑は少なかったけれど、若い稲がふるえる初夏の田んぼも、たくましくなった稲が陽光を浴びている盛夏も、実りの秋もそれぞれ美しいこの地域。ふとイタリアのとある道を思い出した。ミラノ郊外にあるテストコースへ向っていた。ここでは、イタリアの最大自動車専門誌が新車の評価を激しく行う場所だ。雀の飛び交う田舎道を見たとき、こういう日本の風景に似ていると思った。このミラノのテストコースあたりに住む人間は、那珂町の住民と同じ情熱を持っていた。つまり、見知らぬ人でも、昔からの友達みたいに話してくれる。挨拶もちゃんとしてくれる。どこにもデジタルな「臭い」がない。そういう道をオープンカーで走って光のシャワーを浴びると、五感がほぐされてくる。

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純朴な蕎麦屋の白い葱

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61号線を常陸太田に向かって5分ほど走ると、他に何もない田んぼの中にいきなりポツっと置かれたようなお蕎麦屋さんが現れる。「佐竹」というお店はまるでオアシスのようだ。建物のデザインはシンプルだけど、ここに惹かれたのは、もちろん蕎麦の美味しさと、その畑、そして働く人たちの純朴さだ。5、6人のおばさんが朝早くから仕込みをする。毎日、そば粉からお蕎麦を丁寧に作るが、付け合わせの野菜は裏の庭から集める。野ゼリ、牛蒡、人参、長葱、紫芋などはその日の料理に使う分だけ獲ってくる。だから、いつも新鮮そのもの。私が訪れた日は開店前に着いたので、仕込みの様子を少し見せていただいた。畑の土が凍っていたため、おばさんたちは葱が引き抜けず苦労していた。たまたま庭の近くにいた私は「やらせてください」と声をかけ、2本を引き抜いてあげた。長くて元気なネギをおばさんに手渡すと「ありがとう」と言って、冷たい井戸水で洗いだした。そういえば、洗った葱の白さに冬の寒さを見る松尾芭蕉の句があったな、と思い出した。

彼女たちの楽しそうな働きぶりと見ていると、その真剣さに感心する。アナログ的な生活から生まれる暖かみと感じた。彼女たちがやる仕事は全て手作りか接客だからこそ、暖かい。そして、思いきり白人の顔をしている私のことも、日本人とか外人と区別せず、日本語が話せるただ1人の人間として普通に会話してくれるから嬉しい。気取りのない会話から生まれる笑いにも、人情を感じる。こういうルートならではの、ゆっくり時間を過ごしたい。

都会で暮らす私たちは、巨大な巣を慌ただしく動き回るアリのようだ。次から次へと何かを運び回るのに忙しくて、すれ違うだけだ。いっぽう、田舎に生きていると、のんびり餌を探し歩くキツネたちが出会ったときに互いのにおいを嗅ぎあうように、立ち止まって言葉を交わす。それこそ、アナログのライフスタイルだ。「ちょっとカボチャを煮たから、食べにこない?」というような料理が、この店でも出てくる。その日の「上天ざる」を味わい、また61号線に戻った。

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慣れない運転マナー

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61号線から62号線を抜けて293号線に入り、小舟川にそって走る。地元の人たちが魚つりを楽しむ川だが、ここは春には山桜が美しい道だ。道路はだいたい1車線で、時速60キロで走る。杉やヒノキのよい樹ができるそうで、木立をぬけてくる風の音や臭いが楽しい。

この辺の道だと、信号もほとんどないし、交通量も少ないから、走ると楽しい。道は狭いけど、スイスイ走ると気持ちがいい。イタリアのミラノからコモ湖に行く田舎道に似ている。しかし、当然なことだろうけど、日本の都会と田舎の道路のルールや走るマナーが少し異なる。18年前にジャーナリストとして日本に来た私には、すぐ慣れないマナーだった。都会ではウィンカーをつけて車線変更をしようとしても、なかなか入れてくれない。自分の車のノーズを隣のクルマのリアバンパーにつけて、無理矢理いれてもらうコツを覚えるのに数カ月かかった。

そして、入れてもらった人に対して、手をあげたり、ハザードをつけたりして感謝をする。私の国では、ウィンカーをつけると、必ず入れてくれる。その差は心の余裕だろうか。東京はパースの10倍ほどの人口をもつ大都会。それに、みな厳しいスケジュールの中で、時間をデジタル風に感じるながら、10倍ほどの刺激に影響されているように考える。だから東京では少し時間が早まっているように思うのも当然かもしれない。はっきり言って、私も日本に来てから ほんの少しせっかちになったと思う。

一方、この茨城の田舎では、ドライバーのマナーは良いと思う。時間をアナログ風に感じているせいか、みな余裕をもって運転している。ウィンカーをつけると、入れてくれるし、先に行かせてくれる場合も多い。自分の運転マナーが自然にチェックされているから、ここを走ると、少し心の余裕をもつことができる。

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風・光・においにかき立てられる記憶

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山に反射しているせいか、光も色も薄暗く黄色っぽく見えて幻想的な風景が広がる。数年にアメリカ・バージニア州の山道を走ったことがある。ブルーリッジ山脈は青紫色に染まり、サーモンからみかん色に変わっていく夕空が美しかった。弓形に隊列を組んで飛ぶ雁の羽音が、本当に聞こえたのだ。そういうところは、空気もペットボトルに入れて持って帰りたいぐらい、おいしい。

哲学者の散歩ではないけれど、クルマを走らせながら、いろいろな想いと戯れる。日本語を学び出して間もない19歳の時、衝撃を受けたのは日本語の文字だった。大学の先生の持った筆が流れるように生み出す文字は、まるでアートに見えた。書が究極の墨絵だと知ってから日本の風景をみると、色より陰影の面白さを感じる。この田舎道に点在するワラ葺きの家や白い壁の蔵と、その背景を楽しみながら走る。大学で日本の建築の特徴を学んだときに、ワラ葺きのことをも習ったのを思い出した。

空気がぴーんと張ってきたなと頬で感じながら、長さ500mの花立トンネルを抜けると、雪が降っていた。日本の名作の冒頭のようだが、本当に雪はいきなり落ちてくる。私はまたアナログ時代に戻ったかのような感覚に捕われた。

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時計に囲まれて 時間が止まる

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鷲の子(とりのこ)という交差点で左折し、さらに山間の293号線をしばらく進むと、左手にポツリと不思議なお店が現れる。「Le Temps」(ルトン)はカフェでもあるし、アンティーク屋でもある。ここもさっきの「佐竹」と同じく、オアシス的な存在。ツーリングがてらに寄りたい、ゆっくりできるお店だ。人情あふれるオーナーの木村さんは、水戸市内で25年間レコード屋をやっていたそうだ。でも、彼の夢はいつか自分のカフェを持つことだった。5年前に開店したお店に入ると、程度のいいアンティークに驚く。壁に数多い時計が飾ってあるし、ライカ、ミノルタ、ヤシカなどの古いカメラも少なくない。

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座ってホワイトハウスご用達のレノックス製のカップからコーヒーを飲みながら気付いた。このお店は究極のアナログ・ライフではいか。これだけの時計に囲まれると、余計に時間を感じるかと思いきや、結果はその逆。全ての時計が止まっているから、いればいるほど時がスローダウンしていく。この周辺は携帯の電波が入らないし、周りにアンティークの時計ばかり置いてあるLe Tempsは究極のアナログ街道のお店かもしれない。「ゆっくり」「のんびり」ということばが好きな木村さんのお店にしばらくいると、1日に26時間あるように感じる。

木村さんのアンティークに対する情熱を少しもらって、またクルマに乗り込むと宇都宮に向かった。293号線一直線だから割と簡単だけど、東北自動車道までは1時間ぐらいかかる。ゆっくり走りながら山と一体化した私は、この国に初めて来た頃を思い出した。

70年代、欧米の若者たちは、「カンフー」に圧倒された。東洋の精神、人情、黙っ己を磨く修行。すべてエキゾチックだった。そのころの中国はあまりに遠かったが、「燃えよ、ドラゴン」に魅了されて、私は10代から日本語でこの国の文化や風習を学んできた。オーストラリアでは、言葉だけでなく茶道、武道、などが習えた。日本庭園や和室で、日本人商社マンなどと会話を練習することもできた。だから、日本の情報を英語で得て来日したのとは違う期待感があった。そういうロマンを求めて日本に来たが、都会ではロマンや人情は見つからなかった。1979年、友達が住む山梨県上鰍沢町を訪ねて、初めてそのロマンに出会えた。人は純朴だったし、本音を言ってくれる。畑からじゃが芋を掘ったり、近所のおじいさんと薪を割ったり、何気ないことをしながら。今回の旅でも再びそういうロマンを感じた。

デジタルな日本の都会生活で少しせっかちになった私だが、日帰りのドライブだけでかなり充電ができた。今度は紅葉の時期に来ようかな。「紅葉」? そういえば、これも英語に訳しにくい言葉なんだ。

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